会長中島克海 VS 社長吉田耕一
エコロンの屋台骨を支える会長の中島と社長の吉田。二人のつき合いはとても長い。公共工事全盛の古き良き時代から今日まで時代を共にしてきた。その二人が今回膝つき合わせて対談する。
二人はエコロンの酸いも甘いも知り尽くしたまさに生き字引的な存在だ。会長は社長を引き立て、社長は会長を慕う。その根底にあるのは何と言っても互いの信頼関係だ。「ウソを言わない」「本音でぶつかる」「価値観を共有する」そうしたベースがあって企業としての力は最大限に発揮できる。
これからますます変化する経営環境の中で、社員ともども手を携えて未来を築いていく、今回の対談はその確認をする場となるであろう。
創業そして浄化槽設備・給排水設備工事への業容拡大
―創業の経緯を教えていただけますか?
中島 私は、甲子園常連校で優勝経験もある鹿児島実業高校を卒業後、東京のガソリンスタンドに就職し、朝は7時から夜は9時までずっと働きっぱなしという生活を送りました。しかも休みは月に1回か2回。ですから遊ぶ暇なんてなかったし、自然とお金も貯まりました。その時の「入りを多くして出を少なくする」という金銭感覚が今でも役に立ち、あまりお金のことで苦労したということはありませんね。(といってもこれは自分がそう思うだけで当てにはなりませんが…)
それから27歳の時に鹿児島に帰り、ある人からのアドバイスで浄化槽工事の仕事を創業することになりました。創業してから間もなくのことですが、ある大手設備工事業者さんの下請けに入るチャンスに恵まれました。この頃は公共工事がどんどん伸びる頃で面白いように仕事が入って来ました。このチャンスを活かせたことが今となってはすごく大きかったように思います。
それから昭和52年に吉野設備工業株式会社として法人設立に至りました。
―会長と社長との出会いはいつですか?
吉田 私は学校を卒業してすぐこの会社に入りました。それからもう26年になります。当社は創業して来年でちょうど40年目ですが、私も古参社員の部類になってしまいました。
中島 もうそんなになるか…。早いものだね。彼は真面目な性格なのでもともと期待はしていたけど、入社当時遅刻も多かっただけに続くのかな?という心配もありましたよ。
吉田 そんなこともありましたね~。若気の至りだったとこらえて下さい。(笑)
でも仕事が面白かったので一生懸命だったことだけは自信を持って言えます。だからこそ今まで続いてきたんですね。
中島 そうだね。仕事には熱心だった。遊びのことはよく見てなかったけど。(笑)
吉田 私は入社以来ずっと浄化槽の設計に携わっていました。この仕事の魅力は設計した物件が出来上がって来た時の満足感ですね。その現場を通るたびに「これは俺の作品だぞ」なんていいながら悦に入ったものです。これぞモノづくりの魅力といえるのではないでしょうか。
中島 社長の浄化槽設計、これは僕から見ていてとても優秀だね。県下ナンバーワンの技術だと自信を持って言える。ウン
吉田 会長からそう言ってもらえるとありがたいですね。この部門は当社の基幹事業ですからより一層レベルアップしていきたいですね。
中島 でも、浄化槽工事も随分と変化してきたよね。創業当初の頃は一つひとつがオーダーメードで現場での作業が困難だった。
吉田 そうでしたね。それが今では既製品のFRP製品が主流になりライバルも増えてきました。
中島 でも、うちは吉田社長の技術力があったから他社がまねのできない分野を開拓できた。それが今でも活かされていると思う。必ずこれからも盤石な経営をしてもらえると思う。
吉田 その期待に応えられるよう頑張ります。
―事業を続けていく過程で転機もありましたか?
中島 もちろんありましたよ。公共工事の入札制度が大きく変わっていく時期はそうでしたね。管工事指定店にならなければまず指名が来ない、これは大変です。下請けだけでは仕事が安定しません。そこで指定店になるためにあらゆる努力を急ピッチで進めました。そうしたところわずか5年間でA級入りを果たすことが出来ました。これって特異な例だと思います。
このことによって管工事、給排水設備工事業も本格的に展開するようになり会社の規模もどんどん大きくなっていきました。まさに「川下」の仕事から「川上」の仕事へのチェンジ、これが大きなターニングポイントでしたね。
しかし、その一方で財政緊縮により年を追うごとに公共工事の額そのものが減るという時代に突入してきました。これは影響が大きかったですね。
吉田 確かに指定店になったのは大きかったですね。私の入社が昭和60年ですからこの頃はまだよかったんですが、ここ10年ぐらいでしょうか。公共工事の縮小に伴い我が社も売り上げが減って来ました。ピーク時30名近くいた社員も今では10名ちょっとです。でも、会長の社員数の適正化を図るという方針は良かったと思っています。
中島 そんなにいたんだよね~。でも縮小という選択は辛い。でも、とにかくこの時点では筋肉質、スリム化を図らなければ会社は維持できないという危機感はあったね。やがてまたいつか反転攻勢できる日が来ると思っていたし、常々もっと時代の先を見据えた新しい事業を加えていかなければいけないという強い思いはあった。
エコ事業への展開でより一層の飛躍を
―それがエコ関連事業ですね。
中島 そうですね。当社が社名をエコロンに改称したのは平成8年ですが、その頃から幾分地球環境のことは専門家の間では心配されていたようにも思います。しかし、エコが一般人の日常の話題に上ることなどありませんでした。しかし、やがてこの事業が伸びてくるという予感はありました。
吉田 この事業を展開したのもエコロンという名前にしたのも会長の先見性ですよ。
中島 先見性なのかな?でもそう言ってもらえるとありがたい。今ではこの社名にして本当に良かったと思っている。このエコブームを見越してこの社名にしたわけではなかったのだけれど、何となく響きも良かったし、エコということ自体が価値あるもののように感じていたから…
吉田 それこそが先見性ですよ。
―本格的にエコ事業をスタートされたのはいつからですか?
中島 平成18年からです。我が社もこれまでの事業に加え何か新しい大きな柱を!と思っていた時期に縁あって断熱塗装、ガラスコート施工の代理店資格を取得することができました。それがスタートですのでもう5年を経過したことになります。
初めのうちは手探り状態で技術的にも未熟だったり、社員が続かなかったりということもありあっという間に3年が過ぎました。そのころ現在塗装部門を全面的に任せております山下が入社してきました。彼は熊本で長年にわたり塗装の技術者として、また営業マンとしてかなりのキャリアを積んできた人間です。今、自信を持って彼にまかせています。
―このエコ事業部は会長が担当されているんですか?
吉田 そうです。社長である私がこれまでの本体の仕事である浄化槽をはじめとした給排水設備・管工事を担当し、新しい事業部は会長にお願いしています。こうして分担することで攻めと守りという二面性も同時に追求できるのです。
中島 省エネガラスコートについては、デモンストレーションを実施したり、イベントに出展するなど地道に活動を重ねてきた結果、最近引き合いがとても多くなり実績もうなぎ登り、施工件数も100件を超えるほどになって来ました。これも社会のニーズなんでしょうね。
吉田 会長と山下が中心になってこのエコ事業を推進してくれていますので私は安心して今の仕事に集中できています。
中島 早く社長が楽できるようにこの事業部を一本立ちできるように私も頑張ります。
吉田 会長がまだ前線で頑張って下さっているので助かります。
中島 いや、私はなるだけあなたの邪魔にならないようにしたい(笑)
吉田 まだまだ頑張っていただかないといけないですよ。ところで会長はおいくつになられるんでしたっけ。
中島 今年で67歳ですね。
吉田 そうでしたか。でも体調もだいぶ戻って来られてよかったです。
中島 そうだね、私が脳梗塞で倒れたのが平成12年。あれから好きだった釣りやゴルフもプッツリやめて今の趣味はエコ一筋。(笑)
でも私の場合は軽かったから3年で運転できるようになった。これもお陰さまの人生かな。
強い技術者集団、お客様の心に添える集団を目指す
―ところでお二人の人間観をお聞きしたいのですが、どんな社員を育てたい、どんな社風を作っていきたいと思ってらっしゃいますか?
吉田 明るく元気が一番ですね。私たちの建設関連業というのは以前から「暗い」「怖い」「愛想がない」というイメージが強かったです。これを何とか変えたい。当社の社員に接するだけで気持ちがいい、そう言われるように業界の常識を変えていきたいですね。
中島 そのためにも社員を信用する。これが大事なんじゃないかな。
吉田 おっしゃる通りです。社員を認めてあげる、声を聞く、そして何より大所高所からジッと見てあげることだと思います。キチンと見てあげることでやる気も起き、それがひいては明るい元気な社風につながると思います。
―最後に会長から見た社長像、社長から見た会長像をお聞かせいただけますか?
中島 ちょうど社長職を彼に引き継いだのが今から1年前、バトンタッチは10年計画で進めてきましたから心置きなく安心して彼にまかせられました。とにかく彼は真面目に一生懸命というのが実感です。律儀だし約束を守る、信用のおける人間です。
吉田 会長にはカリスマ性があります。とにかくポジティブで常に新しいことに挑戦する姿勢には頭が下がります。また企業家として目の付けどころがいい、商売人としても尊敬できます。
中島 それは誉めすぎだよ。でも、私がこうして新しいことにチャレンジできているのも社長がしっかり本業を守り発展させてくれているからこそ。これからも私の身体が続く限り頑張るからよろしく頼みますよ。
吉田 身体が続く限りなどと言わずこれからもずっとずっと見守り続けて下さい。
中島 一体、いつまで私を働かせるつもりかね。そろそろお役御免にしてもらいたいところだ(笑)
―今日はお二人どうもご苦労様でした。